時というものは、それぞれの人間によって、それぞれの速さで走るものだ
時間というものを相対的に見たときに、好きなことに夢中になっていたり、
好きな人たちと楽しく過ごしている時間はあっという間に過ぎていくけれど、
単調な作業や辛い状況下の時、この時間が永久に続くんじゃないかと思うほど長く感じる。
あの有名な物理学者も、熱いストーブの上に手を置くと1分が1時間に感じられ、
綺麗な女の子と座っていると1時間が1分に感じられる。それが相対性だ。と答えて
いたけれど、時間は等間隔に刻まれているようで、刻まれていない。
待ち人があり、その相手を長く待っているとき、時計を確認してまだ数分しか
経っていないと、時計が刻んでいる時間のほうを正しいと思うけれども、
この時計の刻む時間というものが、私たち自身が感じている時間の本質ではないと
ある哲学者も言っていた。人工的に区切られた時計の針、運動によって連続している
時間は、ただ空間的に捉えられて、表せられた時間で、時間の本質ではないと。
本来の時間とは、そうした空間的な要素を一切排除した純粋な時間の流れで、
空間化されない時間、質的な強さを持つ時間で、そして本来それは直接意識に
与えられるもので、時間は質そのものであり、均等に計測出来るようなものではない
ということである。物理学的な時間というものは、ただ空間化された時間に過ぎず、
物質の運動を量的に表すものであって、純粋な時間というのは、精神の運動を質的に
感じるものなのだ。時間は私たちの外で私たちと無関係に流れているのではなく、
私たちの内に流れており、その瞬間ごとに私たちの意識は変化しながら絶えず続いている。
この続いているところに時間というものが存在するということであり、
質的な強さを持った意識の連続そのものが時間だと言えるのだろう。
過ぎた時間・過去や、まさに過ぎていっている今現在だって、
このそれぞれの時間でさえも相対的に見たとき、今はとんとんと過ぎ去っていくが、
過去は永遠に動かずにじっとそこに在る。果たして未来はどうだろうか。
それぞれの人によって、時間は伸びたり縮んだり、進んだり止まったり
しているのではないだろうか。
Something as time runs by respective speed by the respective man
- William Shakespeare
Ashoka
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